こんな戦争があったんですね。
普墺戦争(ふおうせんそう、英:Austro-Prussian War、独:Deutscher Krieg)は1866年に起こったプロイセン王国とオーストリア帝国との戦争。実際はプロイセンと、オーストリアを盟主としプロイセンを除名したドイツ連邦諸国との戦いであった。ケーニヒグレーツの戦い(サドワの戦い)でプロイセン軍がオーストリア軍に圧勝し、戦争は急速に終結した。7週間戦争とも呼ばれる。この戦争によってドイツ統一はオーストリアを除外してプロイセン中心に進められることになった。
19世紀後半、第二次産業革命の波はドイツにも流れ込んだ。しかし、小国分立で十分な経済圏が無い当時のドイツでは、重工業の健全な発展は不可能であった。このままでは弱小な農業国から抜け出せないというジレンマから、ドイツ民族の統一を求める民族主義が各地で高まったが、具体的な統一方法では意見が分かれた。特に、領土の広さだけで見れば、ドイツ本土全体に匹敵するほどの広大な領土を中東欧に持つ一方、ドイツ人地域(現在のオーストリアの版図に近い)を中枢とするとはいうものの、多数のスラヴ・マジャール人を支配するオーストリア帝国を、統一ドイツに含めるか否かは大問題であった。ドイツ民族以外を統一ドイツに入れるわけにはいかないという民族主義的意見、オーストリアを入れれば事実上他の地域は属国になってしまうという政治的意見、逆に現実的にはオーストリアには逆らえないという意見等があった。非ドイツ人地域を独立させてドイツ人地域オーストリアを入れる大ドイツ主義と、それを容認しない小ドイツ主義に、非ドイツ人地域もふくめた統一国家を目指す中欧帝国構想の三つの意見が分れ、それを政治的に利用する国が現れた。
大ドイツ主義は多数派の理想ではあったものの、当然オーストリアが拒否した。オーストリアの掲げる中欧帝国構想を拒否しての小ドイツ主義は、精強な軍隊を持ち、ドイツでも一目置かれていたプロイセン王国が旗手となった。
過去にはナポレオン戦争やポーランド分割で協調体勢も見せていた両国だったが、プロイセンが首相ビスマルクの下、軍備増強の強硬な政策をとるに至り、オーストリアとの対立が表面化する。プロイセンは一旦はオーストリアに融和的な姿勢を示し、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(1864年)ではオーストリアと連合してデンマーク王国と戦い、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国をプロイセン・オーストリア両国の共同管理とした。しかし、これはビスマルクの策略であった。プロイセンはやがてオーストリア管理地域に介入し、オーストリアを激怒させた。ここに普墺戦争が開始される。
1866年6月15日プロイセンは宣戦布告を行って、ホルシュタインのオーストリア管理地域を占領した。プロイセンの行為を侵略的と見たバイエルン王国、ザクセン王国、ヴュルテンベルク王国、ヘッセン選帝侯国などはオーストリア側に付いたが、北ドイツの小邦はプロイセンに付き、オーストリアのヴェネツィア領有を不満とするイタリア王国もプロイセンと同盟した。
外部の勝敗予想は五分五分であったが、当時のプロイセンには軍事的天才がいた。参謀総長大モルトケである。プロイセン参謀本部は軍隊の迅速な移動のため元々道路整備に熱心だったが、大モルトケは当時の最新技術である鉄道線と電信設備を重視し、オーストリア国境までこの二つをあらかじめ整備させていた。そのため、開戦してからのプロイセン軍は、オーストリア側の予想を超えた迅速かつ整然とした進撃を行うことができた。分散進撃してくるプロイセン軍の前に、オーストリア軍は7月3日ケーニヒグレーツの戦いで包囲され、大敗してしまう。
ビスマルクが心血を注いだプロイセン軍は、丈夫で装填時間が短い鋼鉄製の後部装填式大砲や世界初の金属薬莢式軍用ライフルを装備し、装備の面でもオーストリア軍を遥かに凌駕していた。プロイセン軍の新兵器の圧倒的な火力と速射力の前に、従来通り銃剣突撃を繰り返すオーストリア兵は次々になぎ倒された。
オーストリア軍はイタリア戦線ではリッサ海戦に勝利するなど優勢であったが、ケーニヒグレーツにおける惨敗を補うことはできなかった。
プロイセンの悲願であるドイツ統一のためには、オーストリアと戦うことは避けられない。そのためビスマルクはオーストリアの戦力を知っておきたかった。そこで先の戦争で共同作戦に誘い、オーストリア軍の装備や指揮系統など、様々な要素を調べ上げ、研究した。オーストリア軍はナポレオン時代とあまり変わっていない旧態依然とした軍隊であり、このことを知って勝てると踏んだ上でビスマルクは開戦に踏み切り、オーストリア軍はプロイセン軍に一方的に敗れたのである。つまり、この戦争は始める前からすでに勝敗が決まっていたともいえる。
(以上、ウィキペディアより引用)
なんで歴史の授業で習わないんだろう。。
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